Matsuzawa Uraraka
松澤 うららか
私は、多摩美術大学で日本画を2年間学び
日本の美術界に飛び出て行きました。
当時は日本画の画壇に入る事を
なんとなくの目標にしていたのですが、
やっぱり働きながら、しかもとてつもなく大きな絵を
描くのが辛く数年で逃げ出しました。
そもそも多摩美も外部大学からの入学で浪人経験もなく
油絵が最初の画材でしたが、ベタベタとした触感やきつい匂いが嫌でした。
そこで大学時代に日本画に出会い、
そこでもう少し続けたいと思い多摩美の大学院に進学を決めました。
今思うと私は子供時代に書道をやっていた事もあり、
その時の墨の匂いや筆と和紙の接触や滲み方などが
心地よかったのかもしれません。また私は母も美術系大学出身で
美術の教師をしていた事もあり、子供の頃はアートに触れることが多く、
お絵描きをする事が大好きでした。
ワーキングホリデー を使ってフランスに行ってみる。
29歳の頃、思い切って渡仏しました。アート系の私はもちろん英語もフランス語も苦手でした、でもどうしても行きたくてワーキングホリデービザを使って
いきました。
結果は散々で色々心折れる事ばかりで本当に苦労しました。自分のアートを売って身を建てたい、日本画を紹介したい。なのに語学は全然出来ないし、
資金もあまりないので働いていました。
フランスは街もアパートも汚くフランス人と共同生活をすると、
自分のテリトリーを確保するのは大変です。
神経質な私は、この時自分でテラピーをしなければ精神のバランスが
崩れて行きそうで、いやほぼ壊れていたのかもしれません。
環境をガラリと変えて、それについて行けるほど私は
強靭なメンタルの持ち主ではないことがわかりました。
あとは文化の違う人との会話や言葉にとても深く考えてワナワナしてしまいます。
これが多少フランス語の意味もわかり、言いたいことが伝えられる様になると、
文化のギャップで傷つく事ばかりでした。
最初は、どうせ行くならフランスの文化にも興味がありました。
ワインも美食も好奇心旺盛だったのですが、語学学校に通うだけで
頭も心も余裕はなく毎日鬱状態でした。
全く先が見えない、このままでいいのか?私は何をしに来たのかを悶々と問う日々、
早く出口が見出したくて焦る一方でした。
そんな時にcarée d’artistesを見つけ
応募して自分の絵を販売できることになりました。
https://www.carredartistes.com/fr-fr/?delivered_country=fr
そこで描いた作品は日本画らしい日本画ではなく、
下書きやトレースという工程は踏まず、
水干絵具という岩絵具よりも安価で伸びの良い
絵具を主に使って描いていました。
基底材は和紙、もちろんパネル貼りにして描いて、
できたらパネルから剥がして送ります。
そして次はMarché de la création と言う
リヨンでやっている日曜日の画家達のマルシェです。
http://www.quaidesartistes-lyon.fr/
これはリヨン市がやっているので少し審査が面倒くさく
長いですが、これもクリアして毎週日曜日の朝に
ローヌ川沿いで自分のスタンドを設け
自由に作品を展示販売できるようになりました。
これがフランス2年目の私が手にしたものです。
フランスの国が私に合っているかどうかはわかりませんが、
私は日本では作家活動をするのにどうしても気がすすみませんでした。
このブログでは今まで私がフランスでの個展、
サロン、アトリエなどを通して日本との違い、
またフランスで自身のアートを展示してみたい、
販売してみたい日本の作家さんの役に立てたら良いと思います。
どうしても、ヨーロッパの方がアートや音楽に理解があったり
国そのものの歴史からしても文化を支える基盤がある様に思えます。
しかしフランス人作家さんも現代ではとても苦労しているところも見てきました。
どちらの国も絵を売るのは簡単ではありません。
例えば、フランスは作品の値段が日本と比べて低め、
ギャラリーで個展をする場合は家賃制ではなく、
最初の費用は掛からない事が多い、などの違いがあります。
ギャラリーの絶対数も日本では東京一点集中で、
私の住んでいる千葉県には殆どないです。
また日本で私が出品していたのは、倉画展と言って毎年2回
東京現代美術館で開催されますが、150号というサイズが決められていて、
仮に入選や賞をとったとしても、展示されるだけで
コレクターや企業さんなどへの販売は禁止されていました。
ここまで大きな絵だと個人で購入するのはとても難しいと思いますが、、
せっかく描いた大作を所望したいという方がいるか?
という前に販売自体が出来ないと淡い期待さえも持てないですね。
その点フランスの大きなサロンは、
パリでもリヨンでも販売する事が前提にあります。
アーティストが個人で参加できるサロンもあれば、
ギャラリーがスポンサーとして付いて出展する場合もあります。
これだけ見ても、当時の私が日本の美術界に
閉塞感を感じる事は当然だと思います。